狼さんの考え

高校生が日常で感じたこと、考えたことを発信するブログです

なぜ人間は他人を評価し、偏見を持ってしまうのか

こんにちは。

狼さんです。

今回は人間の愚かさについて書いていこうと思います。

 

 

人間は他人のごく一部分をみて評価しています。

時には評価することが必要かもしれません。ですが、その評価は本当にその人の人間性や人間としての良さや弱さに直結しているのでしょうか。

例えば、勉強の成績です。すごく勉強できる人が東京大学に合格したとしましょう。それはすごいことです。ですが、私は「すごいな。」としか思いません。逆に、勉強が苦手で、大学に合格しなかった(大学を諦めてしまった)人がいるとします。勉強面だけ見れば前者より後者の方が劣っているように見えます。ですが、私は「前者がただ勉強ができる人」としか思いません。確かに勉強できるのは素晴らしいことです。ですが勉強ができる代わりに後者に何かが劣っているのです。

人間は人それぞれ価値観や考え方、感じ方が全然違います。だからこそこの社会は回っているのです。全員が平等だったらつまらないじゃないですか。同じ顔、同じ声、同じ考え方や感じ方、同じ身長、体重、全てが同じ能力なんて何にも面白みがないと私は考えます。

 

人間は常に誰かの上に(立場的に)いたいと考えている生き物だと私は思います。

誰かの上にいるという優越感を感じ自分の方が優れていると思いたい生き物だと思います。自分自身、学校にいてそのように考えているんだなと思う人が沢山います。いじめもこのような考え方から生まれていると思います。誰かをいじめ、それを見ている人たちが、「加害者が被害者よりも上の立場にいる」と考える人もいます。無意識にもそう見えてしまうのも無理はありません。スクールカーストができてしまうのもこのためだと思います。いじめを見ていた人たちが加害者の味方、取り巻きみたいになるのは「自分もいじめられるかも」といった感情だけではなく、自分も少しでも上の立場にいきたいと考える体と私は思います。

 

次に、人はなぜ偏見を持ってしまうのかと言う点について話します。

人間は無意識のうちにこの人はこんな人だ、あんな人だと思い込んでしまいます。これについてはしょうがないとをもいます。ですが、この無意識にした他人の評価にとらわれ過ぎて、意見や考えを聞かないと言うのはよくないことだなと思います。

人間は共感を求める生き物です。これによって、偏見が生まれてしまうと私は考えます。芸能人が叩かれているのをよく見ます。叩いている人は、叩かれている人のことをよく知っているのでしょうか。叩いている出来事についての真実を知っているのでしょうか。ノリで叩いていたりしないでしょうか。その出来事の一面だけを見て叩くことが必要でしょうか。叩かれた人がどんなことを考え、感じるのかをちゃんと考えているのでしょうか。

今の世の中、匿名でなんでも書き込める時代です。顔を見ずに書き込めます。だからと言ってなんでも書いていいと言うのは違うと思います。匿名でも、顔が見えていなくても書き込まれた本人はいろんなことを感じるだろうなと思います。

人間は必ず良い部分と弱い部分があります。その弱い部分や失敗につけこんで、ネットに書き込むことをしても、書き込んだ人も、書き込まれた人も良い気持ちにはならないと思います。書き込んだ人が自分の方が優れていると、優越感に浸れてもそれはその時だけで何かしらの罪悪感が残るはずです。

私は、ひとつひとつの物事に対してもっとよく考えて欲しいです。客観的に見ることも必要なのではないかと思います。

ハリーポッターのスネイプ先生が「人生は不当なものだ」といっていましたが、確かにそうだと思いました。ですがそれは、人間がこの世界を作っている以上しょうがないことだと思います。人の感情は数値化できません。それが故に平等にすることは無理なのです。だからこそ、人と人とがもっと相手のことを思いやり、相手のことを考えることが必要だと思います。

ひとりひとりが自分の良いところを出し合い、もっと相手のことを認め合うべきだと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。次の記事も読んでいただければ幸いです。

Twitterなどで拡散していただけると助かります。

Let's think